おはようございます、俺はNHKのドキュメンタリー番組が好きでNHKオンデマンドでよく見ているのですが、まあ構成や演出等々色々ありますので半分本当として見ていますが「ETV特集」と言う番組で北九州の牧師さんがホームレス支援をしている番組を見たのですがやはりまたその中で「何のために生きているのか」というキーワードが出てきます、シェルターも運営していて6ヶ月程居れて、就職して出るか生活保護を受給して出るなどで、半年で出て行くのですがそこに居る人でホームレス状態だったと言う若い女性が番組中出てきますが子供の時に虐待に有ったり、「お前なんか死ね」とか「お前なんか何処かに行け」と育ったそうで「私は何の為に生きているのか、私なんてどうなっても良いんだ」と言っていたそうですがその牧師さんが「主イエスキリストはどうでも良い命を作るほど暇ではない、命には必ず意味がある」と言うのですがその若い女性から物凄い長文の「私のようなどうでも良い命は有るんだ」と言う抗議文が来たそうです
2週間位前に見たNHKの「曹洞宗、安泰寺の一年」と言う番組にも何のために生きているのか解らなくなって兵庫県の山奥の安泰寺に修行僧として入るのですが半年、1年で答えが出ずにまた出て行く人も居ます、「何の為の生きているのか」このキーワードが随所に出てきますが、俺は54歳になって「生きる為に生きる」と思うようになってきました、生きるとはこの世に生を受け死ぬその日までを言うのでしょうが何かの為と言うより命を全うするために生きる、普段の喜怒哀楽や幸せ不幸せも大事な要素でしょうが結論はそういう色んな事が有る人生を生が有る間に否定せず受け入れ寿命が終わる日まで生きる、要は寿命が尽きる日まで生きるために生きると言う事なんではないかなあと思うようになってきましたねえ、でも若い時はこんな風には思わなかったもんねえ、まあ悲しい事、辛い事が沢山有ると人間嫌になるのも解るよねえ
0 件のコメント:
コメントを投稿