2022年9月10日土曜日

2022年09月10日 生きるために生きる

 おはようございます、もう本当に朝肌寒いですねえ、日中は暑いけどねえ

昨日の続きのような話しですが曹洞宗を開いた道元が「只管打坐」と言っていて、只々ただ何も求めずに座禅するみたいな事を言いましたが、永平寺では修行の一環として問答なんかもあって、禅とは何なのですかとかまあ「只管打坐」もあるが答えもあると言う事なんですよねえ、答えを求めて仏門に入りまた生きる迷路に入ってもねえ仕方ないですもんねえ、人間は答えのない事は出来ないんでは無いでしょうかねえ

俺は27歳から商売しながら宗教や哲学に興味を持ち人間の生きる意味みたいな事を日々考えましたが経済状況を考えないで修行に没頭できるのは良いなあと若い時は思っていましたねえ、日々の生活、暮らしに追われながら、商売もなかなか上手く行かなかったりしながらの発心と言うのは結構しんどいもんですよねえ

まあもう55歳になったのでこれからどこかのお寺に修行に行く事は出来ませんが生活しながら、暮らしながら、27年修行みたいな商売をしてきたので人間は何のために生きるみたいな感じの事は何となくこんな感じかなとは最近思いますが、まあ人間は与えられた寿命を全うするために生きると言うか、生きるために生きると言う事ですねえ

強盗殺人で死刑判決を受けた死刑囚がものすごく反省し周囲の人物は死刑でなくても良いのではないかと考え始めます、母親も弁護士に精一杯のお願いをしますが死刑判決は覆られずに執行されます、母親は自死します、ユーチューブで見られますが土本さんと言う検事だった人の経験談です「ある死刑囚」とか言う番組だった気がしますが強盗殺人で殺されたのは何の関係も無い主婦です、その主婦の事や周囲の人の事を考えた場合、その死刑囚の事は仕方ないと思うのですが番組はその死刑囚の事です

このことから考えて、本人は人を殺したことを反省し、死刑を受け入れる、死刑囚の母親は息子が死刑になり自分も自死する、何の罪もない主婦はただ殺される、ここに人間はどうして生きるのかという問いがものすごく交差はしますがその中でもやはり人間は生ある時は生きると言う事です、母親も息子が死刑になってから自死します、息子には何とか裁判を控訴して無期判決を貰い生きてくれと言います、しかし息子は控訴も何もせず一審判決の死刑を受け入れ執行を待ち、そして執行されます、人間は何のために生きるのか、これはイレギュラーの例ですが殺された主婦の事や自死したお袋さんの事を思うと何とも言えないですよねえ、本当に何のために生きるのか分からなくなるような話しですがねえ、それでも生ある以上は生きて働くと言う中々生きるって大変だよねえ

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