おはようございます、相変わらず仏教関係の動画なんかを時間があれば見ています、浄土真宗宗祖、まあ開祖でも良いですがその親鸞がどう説いているかみたいのがやたら出てくるので良いとか悪いとかでは無くて見ていますがまあうちは浄土真宗本願寺派、西本願寺系の寺の檀家なんですがねえ、どうも色々疑念が生まれます、例を言えば「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」これは歎異抄の3章に出てくる言葉ですが、「善人も救われるが、悪人はもっと救われる」と言ったようなちょっとひねったと言うかそういう言い回しでまあでも分かりやすく言うと「善人で何も悪い事をしていないような別に救われなくても良いような人も当然救うが悪い事をしてしまった人はなおも救うんだ」と言うような意味ですがまあそれには「信心決定、無碍の一道」と言うような阿弥陀如来を信じ切った心境になった時のことを言っているのですがじゃあ分かりやすく自分の欲得の為に何の落ち度もない人を殺めたりして無期懲役、死刑のような刑を受けたような者で有っても反省し仏法を聞き阿弥陀如来を信じ切った時は精神的には救うと言っている訳です、反省しきって自分の命をもって償うような現実の事実の中に有っても精神的には救われるんだと言う事です、これを浄土真宗では「摂取不捨の利益」と言う訳です、まあたとえが極端ですかねえ、でも宗教ってそういう一面が有ると思うんだよねえ、精神的に救われたい、何かに縋りたい、そこに一つの光を見出すと言うねえ、でもそれってどうなのかねえ、でもそれと同時に死ぬと、餓鬼の世界や地獄の世界が有ってそう言うところにも行くと言っている訳です、「だんだんああ言えばこう言う、こう言えばああいう」みたいになってくるよねえ、全然揶揄する気持ちはありませんが宗教も冷静に見つめなければだめだと言う事ですねえ、なんでも勉強だねえ
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