おはようございます、今日は凄い風ですねえ、天気予報見てたら午後から回復すると言う事ですけどねえ、昨日は朝からずーっと忙しくて更新できませんでした、最近忙しくて疲れて来ましたねえ、昨日はゴルフのレッスンも行ったしねえ、でも毎日家と会社と銭湯しか行って無いので気分転換も必要だしねえと言う事でちょっと疲れていたのですがゴルフのレッスンに行って来てまあ行けば行ったでもう少しでゴルフ行けるなあなんて感じで気分も良くなるんですよねえ
ユーチューブに勝手に表示されるものを適当に見ていると興味有るようなものが表示されるのでしょうが蟹工船で有名な作家小林多喜二の事を扱った動画有ったのですがまあ以前から好きである程度の人となりなんかは知っているつもりなんですが改めて見るとお母さんは凄く偉い人だったんだなあと思いました。
小林多喜二は明治36年(1903年)に秋田に生まれたのですが叔父が小樽で商売で成功していたのでその叔父の計らいで小樽に移住します、もう120年も前の事なんですねえ、叔父の粋な計らいのような話しに感じますがそうではなくその叔父は、多喜二の父親の兄で成功するまでにさんざん失敗して多喜二の父親つまり自分の弟らに迷惑を掛けたと言う事で小樽で一緒に暮らし、そして多喜二に良い学校に行かせたいと言う事で小樽に家族で移住します、多喜二4歳の時だったそうです、その後決して豊かでは無かったそうですがその叔父の工場に住み込みで両親は働き、多喜二は一生懸命勉強して、小樽商業高校、小樽商科大学と出て拓銀に就職します、拓銀も小樽商業高校ももう無いもんねえ
その後多喜二は共産主義に傾倒していき当時は非合法であった共産主義運動に参加、機関紙なんかに作品を書くような暮らしだったようですが29歳の時、当時非合法な活動をしていると言う事で警察に逮捕され拷問を受けそのまま死んでしまいました、今までいろんな文献で見ましたが、小林多喜二と言う人は凄くまじめで、優しくて、学校や銀行でもひょうきんで周りの皆から凄く好かれていたそうです、当時のまあ政治情勢はまあ分かりやすく言えば今の中国なんかを考えればわかりやすいのかも知れませんねえ、まあ思想としては真逆ですけどねえ、多喜二の作品と言うのは恋人であったタキのような親の借金でまあ今で言えば風俗業のような仕事に就いていたり、蟹工船のように立場で人を支配すると言うような事へのなんて言うか目に見えない縛りとでも言いますかねえそう言うものへの心の解放と言うかそういうものを描いた作品ですねえ
最初に書きましたが多喜二の母親は偉い人だなあと思ったのはそういう非合法活動に息子が参加していることを多喜二の母は咎めもしないしやめるようにも言いませんでしたむしろ応援していたようです、多喜二が警察に拷問され死んだ時も多喜二の遺体を警察から引きとり布団に寝かせずーっと顔を撫でていたそうです、その後その母も共産党員となり共産主義運動を死ぬまで続けたそうです、小林多喜二を思う時思想の違いはあれど吉田松陰を思い出します、吉田松陰も私利私欲を捨て社会の為に死罪になりましたが吉田松陰、小林多喜二まあ偶然でしょうが二人とも29歳で死んでいますねえ、私利私欲を捨て社会に奉仕し若くして散っていますが、俺なんかは今年の5月で56歳二人から見れば27年も長生きしてるもんねえ、今の時代は何も政治的な主張なんかしないで何か事業や投資で成功し金銭的に裕福であれば人生成功だと言うような風潮に感じますがどうなんですかねえ、俺には分かりませんねえ
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